ウサン臭い環境行政・環境ビジネス

この夏は忙しくてブログの更新もままならない。研究活動で忙しいぶんには幸せなのだが、中には下らない雑用に付き合わされたり、下らない雑用をボク自身がマネジメントしなければならないこともある。まぁ、これも給料分のうちと割りきってやっている。

で、それらの下らない雑用をしていると、ウサン臭い話が耳に入ることがある。とくに、環境行政や環境ビジネスに多いという印象を受ける。たとえば、環境負荷を減らそうとした政策が逆に環境負荷をふやしたり、地球温暖化を防止しようとしたビジネスが逆に地球温暖化を促進したり、という具合だ。純粋な自然科学ならば「間違っている」で終わりだ。しかし、環境行政や環境ビジネスでは、問題はそう単純ではない。

環境行政や環境ビジネスを遂行する現場の人々にとって、科学的正当性は重要ではない。彼らの政策やビジネスを進めることが第一の目的だ。また、ある種の利権が絡んでいることもある。環境利権には悪のイメージがあるかもしれないが、環境問題は純粋な科学ではなく社会問題も含んでいる。社会問題であれば、利権が存在するのは当然である。環境利権に善も悪もない。ただし、科学的な正当性がない行政やビジネスに対しては違和感を覚える。

先日ちょっと訪問した某プロジェクトでは、科学的な検証をせずに、法的な枠組や行政の枠組みを優先して行われていた。僕はその現場を見ただけで、「これはウサン臭い」と思った。帰宅後、いろいろな資料を漁っていると、やはり議論の必要があるという判断に至った。

しかし、僕の立場上、「お前らのやっていることはウサン臭い」なんてことは言えない。相手とのお付き合いが重要だからだ。ここでも環境問題は社会問題になっていると実感する。僕の生活という、吹けば飛ぶような小さな社会の問題だが。

転職でもしたら、思う存分告発(?)したいと思う、今日このごろ。